LOGIN
なぜ……? どうして……?
真っ暗闇のなか、大粒の雨が降っていた。降りしきる雨は、でも、血を洗ってはくれない。
──王子の傷を治してはくれない。
「王子! マリク王子!!」
胸を貫いた剣はそのままに、地面にたおれた王子の名前を呼ぶ。
暗闇のような空洞の瞳が私を見つめていた。指も唇も動かず、雨に打たれるまま。赤い水たまりが王子の体の周りに広がっていく。
即死だった。剣で心臓を一突き、驚愕の表情のままに王子はたおれ、そして絶命した。
殺したのは──私だ。
なぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜなぜ!?
「どうして!?」
思い返しても、はっきりとは思い出せなかった。ただ、ぼんやりとした意識の中で私は剣を取り、振り向きざまに王子の胸を突き刺していた。
体の震えが止まらない。現実に起こったこととはとうてい思えなかった。でも、両手には、雨でも流れ落ちていかない真っ赤な血。
血。呪い。呪われた血。
「やはり私は、王子のそばにいるべきではなかった」
震えた手で剣を握り締めると、私は立ち上がった。
「王子と関わるべきではなかった」
王子の体から一気に刀身を引き抜く。
「私は、とうの昔に死ぬべきだった」
剣の切っ先を自分に向けて、迷うことなく胸を貫く。
「うぁあああああああああああ!!!!!!!!!!」
今まで味わったことのない激痛が体をつらぬき、全身が悲鳴を上げる。飛びかける意識のなかで、私の体は王子に重なるように倒れていった。
「王子……マリク……」
ぬかるんだ地面を指でえぐる。指先がしびれ、もう感覚がなくなってきている。
「ごめんなさい……でも、私はあなたのことが──」
その先の言葉を伝えることは叶わず、私の意識は急激に遠のいていった。
*
「……僕は、大丈夫だろうかティナ」
マリク王子の少し緑がかった青い瞳が不安そうにこちらを見つめてた。心臓が早鐘を打つも、無表情をつらぬいて私は辺りを見渡した。
なにが……? ここは──王子の部屋!?
見慣れた調度品に、王子の好きなウッドの香り。そしてなにより、目の前には命を落としたはずの王子。
意味が分からない。
「ティナ? 大丈夫かい? なにか驚いているみたいだけど、やはり鎧は似合わないだろうか?」
「……鎧?」
王子は、きらびやかな鎧を身に着けている。これは、「成人の儀」のみに着用するという特別な鎧。
つまり、今は成人の儀の日……?
王子は困ったようにあいまいな微笑みを浮かべた。
はっ──!
「も、問題ありません、マリク王子。王子は今日もす──」
「……す?」
私の思考が突然止まってしまったがゆえに、王子は首を傾げた。
ダ、ダメだ、ティナ。ティナ・アールグレン。王子の困ったような瞳が子犬のように可愛いなどと、そんなことを微塵も思ってはいけない。感じてはいけない。
私は、王子の視線から逃れるように目を瞑り咳払いを一つして、王子の疑問に答えた。
「素晴らしい晴れやかな格好です。これから始まる成人の儀においても、お集まりいただいている皆様が誇らしく思うことでしょう」
本当は、「王子は今日も素敵です」と言うところだった。言いたかった。いや、素敵ですは一般的な褒め言葉だから言っても良かったはずだが、言葉の衝撃に私自身が耐えられない。
「そうか。自分ではよくわからないが、ティナが言うのならばそう見えるのだろう」
王子は私の本心に気づくことなく輝く笑顔を向ける。私は大きくうなずくと、
「はい。それでは王子、行ってらっしゃいませ。どうぞご武運を」
と言って王子を送り出した。
部屋の扉が静かに閉まる。……そうじゃない! 元気に王子を送り出してどうする!?
落ち着け、ティナ・アールグレン。……でも、この状況、私の記憶。いったいなにがどうなっているんだぁあああ!!!!
「いやいや、久しぶりに王宮の外に出るとすげぇ人手だな。王子なんてさっきから目につくもの食べまくってるぜ」「王子は味を確かめているのだと思います。王宮で口にするものは、もう一流のシェフによって作られた料理。それも市民が食べないような高級品ばかりです。こうして市民が食べるものを自ら食することで、その質と安全を確かめているのです」 たぶん……フリーダのやつ、王子にあんな近づいて。手渡しで食べ物を…それに「あーん」まで!? わ、私だって隣にいたら……。あらぬ妄想をしそうになった私の思考をディンブラ殿の言葉が止める。「ふーん、そんなもんかね。俺はてっきりお固い行進が面倒くさかっただけなような気がするが。おっと、つい王宮や王子の話をしちまう……そうだな。ティナは、確か市民出身だったか? 城下町の説明をお願いしてもいいか? 下手におしゃべりするよりかはその方がいいだろ」「承知しました」 ディンブラ殿の言うことも最もだった。共通の話題と言えばどうしても王宮か王子の話題になってしまう。それに、フリーダに向いてるこのどす黒い気持ちもごまかせるかもしれない。「では、まず城下町ですが、主に3つの区画に分かれています。一つは、ここ商業区。市民の台所とも言える場所でありとあらゆる食品とともにその他の品物を取り扱っています。二つは、ギルド区。職人たちのエリアですね。冒険者御用達の場所でもあります」「王宮で扱う武具や紋章なんかも、ここから仕入れてるって聞くぜ。まあ、俺たちは与えられた武器をただ使うだけだが。……おっと、うまそうなステーキがあるぞ。おっさん、この肉はいくらだ?」 ガハハハハ、と笑いながら牛肉のステーキを購入すると、分厚い肉にフォークを刺してその場で食べ始める。
「なぁ、ところで──」 ディンブラ殿は耳に顔を近づけると声を潜ませて聞いてきた。「どうやって、今回のお忍び視察、王や大臣連中を説得したんだ?」「ああ、それなら。『万が一にも王子の身に危険が及ぶことがあれば、賊と賊に繋がる全ての者を殺し尽くした後《のち》に私がその首を持って償わせていただきます』、とベルテーン現国王に述べることで、無事に王子の提案した無理難題を解決することができました」 前のときと同じ手法だ。 本当は王子の視察自体を阻止したかったのだが、王子はあれでもなかなかの頑固者。フリーダと相談して、前回同様視察を行うことにしてフリーダと力を合わせて王子を守ることを決めた。 ……前の記憶通りなら、このあと王子は賊に襲われる。ただの賊ではなく、もっと恐ろしい怪物《フォボラ》に。 フォボラが出現するのはほぼ間違いない。だから私たちの作戦は、王子に危害が加えられないように身を挺して守ること。私の剣とフリーダの魔法、そしてディンブラ殿の<重槍の紋章>があればフォボラを退けるのはたやすい。 王子の命は守られ、この先の展開もおそらく違ったものになるはず……。 私が考えを巡らせていると、ディンブラ殿はぽかんと大口を開けて理解できない、といった顔をしていた。「……何か?」「いや。アールグレン秘書官──おっと、ここからはティナだな。ティナのその手腕に感心しただけだ」「はぁ……」 感心しないでほしい。心の中では今、必死なんだから。フリーダはあんな調子だし、これから起こることを止める算段を考えなきゃいけないし
「それでは出発しよう。くれぐれも、私が王子だと気づかれないようにしてほしい」「承知しました」 秘書官以下、数人の近衛兵が口々にそう述べると、市民に扮した王子は、馬ではなく徒歩で王宮の門を出立《しゅったつ》した。王子の隣には街の若者を装った近衛兵の一人と、そして……なぜかフリフリ衣装のフリーダが付いている。友人3人で街を散策している、という設定だが、フリーダの背格好を考えると無理がないか? 他の近衛兵も各々、怪しまれない程度に何かに扮しているけど……。「なんだぁ? 不満そうだな? あの紋章士の嬢ちゃんに王子の隣を取られたのが不服なのか?」 私の背丈よりも遥かに大きい近衛兵長アーダン・ディンブラ殿が、豪快に笑い声を上げる。黒髪で隻眼の戦士だ。右目にはいつぞやの戦いでつけられたらしい切傷が深い跡として残っている。 前の記憶では、ここでのディンブラ殿の台詞は「父親ほど年の離れた俺と歩くのは不服そうだな」だったはず。「いえ、別段何も思ってはいません。王子がフリーダが隣にいた方が身分が紛れるとおっしゃったので……」 でも、本当は王子の横がよかった。楽しそうにフリーダと談笑している王子を見ていると、少し羨《うらや》ましくもあった。 そんな私の心内を知っているからか、フリーダはちらりと私の方を見ると悪戯そうに笑い、わざと王子に体を近づける。「マリク王子の甘い香水の香り、素敵ですわ」 あ、あいつ…!! 「そんな睨みつけるな。王子があんなのに簡単になびくわけがない。けど、アールグレン。本当は王子の隣が良かったのに。王子はなぜ、私を隣に付けてくださらなかったのか……とでも言いたそうな顔をしているが?」「……ふっ。まさか、そんな。私はただ王子に仕える身、そのようなことは考えたこともありません」 くっ…恥ずかしい! 前も同じ意地の悪い質問をされたのに、回避できなかった! なぜ2度もディンブラ殿に私の気持ちがっ! はっ! まさかっ!「ディンブラ殿」「ん? なんだ?」「ディンブラ殿は、確か〈重槍《じゅうそう》の紋章〉を宿していると聞いています。他にもたとえば、他人の心を読む紋章など宿していたりなどは」「他人の心を読む紋章?」「もしくは感情を読み解く紋章でも」 そうじゃないと無表情をキープしているのに、感情を読み解くなどできない! しかし、ディンブラ
「死に戻り? 魔法の一種か?」 フリーダはこめかみに人差し指を当てると首を横に振った。「あんた、見た目通り魔法は使えないみたいだけど、そんな魔法あるわけないじゃない」「む……。たしかに私は魔法が使えない。じゃあ紋章か? 紋章の力で」 魔法は、その才がある者が紋章を体に宿すことで使えるようになる。だが、魔法とは別に紋章は多種多様な力を有する。 だから、私の知らない「死に戻り」という紋章があるのかと思ったのだが……。「紋章なら、記憶にあるはずでしょ? 腕か額かどこかに宿した記憶が。それがないから困ってるんじゃない?」「た、たしかにそうだ」「本当に剣一本で戦ってるのね。だとしたら強すぎだけど」 手のひらを向けると、フリーダは部屋の中を行ったり来たりし始めた。「だけど、紋章は数え切れないほど存在するし、新しい紋章も研究されている。どこかにそういう紋章がある可能性はあるわ。それに──」 足が止まると、くるりとこちらに向いた。「咎人《とがびと》」「……なに?」 その言葉を聞いて、私は視線を逸らしてしまった。「だから【咎人】よ。彼らの持つ能力に、死に戻りがあるのかもしれない。一度死んで、特定の場所に戻る力がね」「……だとしたら、私はどうしたらいい?」 慎重に言葉を選んで質問する。頭の片隅で、咎人の言葉がこびりついていた。一生、思い
フリーダは、驚いたように口をパクパクさせながらもティーカップを口に運んだ。そして、心を落ち着かせるように紅茶を飲むと大きく息を吐く。「──意味がわからないわよ。だけど、初対面のはずなのに誰にも話していない私の目的を知っている……あなたに『なにか』があったってことだけは、わかるわ」「それだけわかってもらえれば、今は問題ない。……念のため聞くが、私のことは知らないという理解でいいか?」 大きくうなずくと、フリーダの赤い髪が揺れた。「初対面に近いわね。牢屋に忍び込んだときに一度、今で二度目よ」 ふふん、と偉そうに目を閉じて微笑むが、なんで賊なのにそんな態度なんだ?「一応、忠告しておくが自分の立場はわかっているか? 看守から温情をもらっているようだが、城に忍び込んだ事実は変わらない」「ふーん、罪人ってこと? でも、よくわからないけどあなたは私を頼ってるんでしょ? 協力するなら罪はなくしてほしいんだけど」 挑発するようにフリーダの瞳が揺れる。「……罪人か。それは、私のことかもしれないな」 この記憶が本当なら、王子を殺したのは他でもない私だ。「なに、急に?」「いや、なんでもない。罪をなくすことはできないが、上と掛け合ってみよう。だから、協力してほしい」「なーんか釈然としないけど、まあ、いいわ」 フリーダは強気に笑うと、紅茶に口をつけた。 かわいい顔をしているけど、こいつを王子に近づけさせるわけにはいかない。前の記憶のときだって、王子に魔法を教える大役をちゃっかり担って、毎日王子にくっついて手や腕や胸をペタペタペタペタと触りイチャイチャと──こいつは要注意人物。王子の身が危ないって──。 ああ、もう。それどころじゃない! 左右に頭を振って嫌な記憶を振り払った。「そう言えば、まだ名乗ってないんじゃない、王子の秘書官さん。私のことは知ってるみたいだけど」「ああ、そうだった。私はティナ。ティナ・アールグレン。王子の傍に仕える王子のための剣だ」「固っ! 肩書も態度も固すぎ!! もっとかわいらしく乙女な感じのやつがいいんじゃないの~?」 こいつ……! 人が一生懸命考えた台詞を小馬鹿に……!! いや、そうだ。こいつはこういうやつだった。 フリーダの顔がにやついている。もしかして、こっちの反応を楽しんでいるのか? くっ。振り回されたら終わりだ。
「なぜって、出してくれたから。可憐な私の魅力に気がついてあまりにも不憫と思ったのよ」 どう見ても少女にしか見えないこの紋章士は、食べかけのりんごをお皿の上に置いて立ち上がった。束ねた赤髪を手で払いながら。 本人なりに可憐な動きなんだろうけど、全くそう見えないから不思議だ。 ……そう言えば、私の「記憶」のなかではフリーダと2度目に会ったのは街で王子が襲われているとき。 なぜ、牢屋から抜け出せたのかと疑問に思っていたけど、こういうことか。 それでも、罪人は罪人。私はキッとフリーダの隣にいる看守をにらみつけた。 慌てて両手を振りながら看守は弁明する。「いえ、誤解です! さすがに王宮に忍び込むという悪事は働きましたが、こんな小さな女の子を冷たい牢に入れておくのはかわいそうだと思っただけなんです! お腹も空いていそうでしたし!」「あっ」 フリーダにとっては、それは禁句だ。この小さな魔女は、なによりも自分が子どもに見られることを気にしている。 現に今も、腹を立てたのか拳を握ってぷるぷると震えている。「だれがぁ、小さな女の子だってぇ〜!!!!」 獣のようにわめきながらつかみかかろうとするフリーダを羽交い締めにして止める。やっぱり、怒り出したか。「落ち着け、フリーダ。それより重要な話がある」「これ以上重要な話なんてないわ! だいたいなんであんたが私の名前知ってるのよ!!」 それは、本当にこっちが聞きたいんだけど。ここで説明してもらちが明かないと判断して、私は職権を乱用してフリーダを連れていくことにした。「この者は神官殿も心配していた。まだ幼い見た目とはいえ罪人だ。魔法の才があるとのことだから、一度、紋章宮へ連れていく」「なに、ちょっと勝手なこと! あぁ! なにすんの、やめなさい!!」 問答無用でフードを引っ張ると、フリーダの体を引きずりながら私は牢屋を出ていった。*「で! なにが目的なのよ!? だいたい私は──」「フリーダ・ルフナ。幼い子どもに見えるが年は24歳。火の紋章を宿した紋章士……だな?」 フリーダは硬直した。丸い赤い瞳が驚いたように大きく見開かれている。「あんた、私を捕まえた人間よね? なんで私の素性を知ってるのよ」「そこが問題なんだ」 私は机に座るフリーダの前にティーカップを置くと、そのなかに淹れたての紅茶を注いだ。紋







